猫とふたり暮らし。
そんな僕がある日突然、脳腫瘍で余命わずかであることを宣告される。
絶望的な気分で家に帰ってくると、
自分とまったく同じ姿をした男が待っていた。
その男は自分が悪魔だと言い、奇妙な取引を持ちかけてくる。
「この世界からひとつ何かを消す。
その代わりにあなたは一日だけ命を得ることができる」
僕は生きるために、消すことを決めた。
電話、映画、時計……そして、猫。
僕の命と引き換えに、世界からモノが消えていく。
僕と猫と陽気な悪魔の七日間が始まった。
目次
はじめに
これは、ずるい。
映画化されている小説に惹かれることはあまりないのだけど、
これはずっと気になっていて映画を観る前に読みたかった。
だから、何気なく手にとって。
(ちょうど古本屋さんで安かったし)
そしたら、こんなに泣かされるなんて。
生きることの意味や、平凡に過ぎていく毎日の見つめ方を考えさせられ、
大切な人たちの存在を、はっきりくっきり認識させてくれた。
読めば必ず、毎日の見つめ方が変わる。
失いたくない存在がいるすべての人に読んでほしい小説。
感想
何かを得るためには、何かを失わなくてはならない
自分の命と引き換えに、この世界からモノを消していく。
携帯電話、時計、映画、、、、
なくなったときに、初めてひとはそのモノに与えられた影響や存在の大きさを知る。
自分がおざなりにしてきたことに、やっと、やっと気づく。
「何かを得るためには、何かを失わなくてはね」
主人公の母が、いつも言っていたこの言葉が刺さる。
後悔をしないように生きること
あと数日で死ぬことがわかったとき、
後悔しない人生を歩めた、と言えるひとがこの世界に一体どれだけいるんだろう。
少なくともわたしは、後悔なんてなかった、と胸張って言える状態ではない。
言っておきたいことがある。解いておきたいわだかまりがある。
でもそれは、忙しくすぎる日々の中でなんとなく、
つい後回しにされ流されていってしまう。
そして、失ってから、後悔に襲われるのだ。
絶対に後悔してしまう、ということをこの小説は気づかせてくれた。
家族という存在の、尊さと難しさと有り難さを思う。
また同じ過ちを繰り返さないために、何度も何度も読み返したい。そんな小説だった。
私の世界で一番だいすきな人
この見出しで、自分の話をしておきたい。
解説を読んで完全に感化されてしまったため、私の喪失を書き記しておきたいのです。
(書評ではなく個人的な話、そして長くなってしまったから、読み飛ばしたい方は「最後に」まで飛ばしてください。)
私は祖父をどちらも失くしてる。
そんなそれぞれの祖父とのサヨナラの日の話。
さいしょにいなくなったおじいちゃん
さいしょにいなくなってしまったのは母方のおじいちゃんだった。
COPD。タバコを吸いすぎたことによる肺の病気。
だんだん機能しなくなっていく肺は、
いつしか人工呼吸器をつけないと生きていけなくなって、
10数年かけてじわじわとおじいちゃんの命を削っていった。
それでも、「次倒れたらもうそれが最後だと思ってください。」と医者に言われ、
また倒れて救急車で運ばれて入院、を3度繰り返しても、
まだおじいちゃんは生きてくれていた。
4度目に倒れたのは、わたしが上京して2ヶ月が経とうとしていた、5月の終わりだった。
いままで倒れたらすぐさま駆けつけていたけれど、
もうすぐさま駆けつける距離ではなく(帰るのに半日かかる)、
わたしは新しいことを勉強している真っ最中で、
1日だって1分だって授業を聞き逃したくなかった。
そのとき選んだわたしの選択は、「帰らない」ことだった。
「帰らない」選択をすることはとてつもなく苦しかったけれど、
でも、おじいちゃんが言っていた。
「死んでいくひとは、これから生きていくひとの人生を邪魔するべきじゃない。
頑張っていることがあるときに、こんなじじいのために時間を使うのだけはやめなさい。
だから、帰ってくるなよ。」
わたしは悩んでいた。自分の勉強をとるか、おじいちゃんを取るか。
帰ってくるなと言われたからっておじいちゃんの言葉を鵜呑みにできるほど、
わたしは素直な孫ではなかったから。
ずっと昔からおじいちゃんこだった。間違いなく世界で一番だいすきで、
世界で一番わたしを救ってくれたスーパーヒーローだったから。
だから、、、かなりかなり悩んで、そんなおじいちゃんのいうことを聞くことにした。
だいすきなスーパーヒーローのおじいちゃんの言うことを聞いて、我慢して、
帰らなかった。
だけど、お葬式のために弾丸帰省し、すぐさま日常に戻った週末、
違和感を拭い切ることができなかった。
おじいちゃんの命より、優先させたいことなんて、
この世に1つも無いのだ、と。
そんなことに、わたしは失ってから、ようやく気づいたのだ。
次は絶対に、たいせつなひとがいなくなってしまうときは、迷うことなく会いに行く。
そう決めた、19歳の春だった。
にばんめにいなくなったおじいちゃん
にばんめにいなくなったおじいちゃん、は当たり前だけど父方のおじいちゃん。
専門学校の卒業を控えた2月終わり、それは突然の報せだった。
「おじいちゃんが倒れた。胃ガン。ステージ4。
いつなくなってもおかしくないけど、無理しなくていいよ。
卒業式終わってからでも帰ってこれる日ある?」
お父さんからのLINE。
卒業式まであと15日くらいあった。
そんなの、卒業式終わってから帰ったら絶対に間に合わない。
卒業までの大きい課題があと2つ残っていたけれど、
すぐにスケジュールを確認して最短で帰る日程を組んだ。
ひさしぶりのおじいちゃんの家。
自宅療養で看取られることになったおじいちゃんは、介護用ベッドで寝ていた。
皮と骨。
生きているか死んでいるのか、寝ていたらわからないような状態だった。
おじいちゃんが起きて、わたしの顔をみて微笑んだ。
それから、わたしの手を驚くほど力強く握って言った。
「お父さんをよろしくな。それから、、、仲良くしないな。」
ハッとした。
あまり仲良くない親子関係の間に立ってくれていたのはいつだっておじいちゃんだった。
最後にわたしに伝えた言葉が、父と仲良くしてほしい、と。
死ぬ間際までこんなことで心配されるなんて、情けなさと悲しさで、
泣かないと決めてきたのに、思わず泣いてしまいそうだった。
わたしと別れた20時間後、おじいちゃんは亡くなった。
わたしと会っていたあの時間、
病態が悪化してからは信じられないくらいに元気だったらしい。
わたしを待っていてくれたのだと思うと、やっぱり泣けてきて、
帰りの新幹線ひとりでこっそり泣き続けた。
心配かけてごめんね、すぐに帰れなくてごめんね。待っていてくれてありがとう。
最後に直接ありがとうが言えて本当に良かった。今度こそ、後悔しないサヨナラができた。
サヨナラしてすぐ、父と2人でヨーロッパ旅行の予定があった。
父が7年間言い続けてくれた旅行。
学生最後だからもう時間取れないだろうし行くか、仕方がないから。
とあまり乗り気のしないまま行くことになっていた。
だけど、おじいちゃんの言葉をきっかけに、この旅行で父と仲良くなることができた。
21歳の冬。
21年目にして、ようやく私たちは世間話をする関係性になれた。
ひとはなにかを失ってからじゃないと変われない。
変われたことと、まだ変われなかったこと。
でも変わろうと動き出すことができたこと。
この小説は、わたしたちに大切にすべきことの輪郭をはっきりとさせてくれる。
最後に
失ってしまってからでは遅いのに、失ってから気づくことが多すぎる。
書評というより、私の話がほとんどを占める投稿になってしまったけれど、
あなたにとってのたいせつなひとのことを、ぜひ思い出してみて欲しい。
もし世界から〇〇が消えたなら、、、
大切な人全員にこの小説を読むことを押し付けたい。