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小説

わたしの言葉は伝わらないー『流浪の月』(凪良ゆう・著)感想ー

あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。
わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。
それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。

再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、
運命は周囲の人間を巻き込みながら疾走を始める。

新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、
息をのむ傑作小説。




登場人物

家内更紗|主人公。「家内更紗ちゃん誘拐事件」の被害者(になってしまう)
佐伯文|大学生。「家内更紗ちゃん誘拐事件」の加害者(になってしまう)
中瀬亮|更紗の恋人

孝弘|伯母の家の息子

はじめに

「かわいそうな子供」というレッテルを貼られた瞬間、「わたし」の言葉は届かなくなる。
その痛みをよく知っている、とおもった。

この物語は、「家内更紗ちゃん誘拐事件」の被害者と加害者として、
生きていかなくてはならなくなった更紗と文の物語。

なのだけど、主人公の更紗の心情はあの頃表せなかった感情を
代弁してくれているようだった。

苦しみの原因は全く違ったけれど、わたしにも
「かわいそうな子供」というレッテルを貼られ、苦しんできたことがあった。

だから、あの痛みもこの痛みも、あちこち思い出しては読む手が止まり、
もう読み終えられないんじゃないかとおもった。





なのに、読む手が止まらなかった。
作者の筆力が素晴らしくて、夢中で読み切った。

周囲から見た印象と本人がどういうひとなのかなんて、絶対に一緒ではないのだから、
わかってもらえなくても自分自身が幸せなら、その幸せを共有する相手がいるのなら、
それで良いのだろうとおもう。

だって確かに幸せ、なのだから。

様々な情報を手に入れられるようになった現在、
周囲の目を気にしてしまうひとにこそ、『流浪の月』を読んでみてほしい。

考えさせられる小説。



感想

声なき叫び

誰かに打ち明けて助けてもらいたい。
でも口にする勇気がない。苦しい。助けて。
誰か気づいて。でも誰も気づかないで。

重い荷物を担いで歩いていかなくちゃいけないしんどさを、わたしは知っている。

苦しむ更紗の心の声が、あまりに伝わりすぎる。

多くの人の中にある『力なく従順な被害者』というイメージから外れることなく、
常にかわいそうな人であるかぎり、わたしはとても優しくしてもらえる。

世間は別に冷たくない。
逆に出口のない思いやりで満ちていて、わたしはもう窒息しそうだ。


世間は別に冷たくない。

そう、別に世間は冷たくなんかないのだ。
相手を気遣えるような優しいひとこそ、相手を傷つけることもある。

『力なく従順な被害者』として生きていかなくてはいけない更紗は、
周囲からとても優しくしてもらえる。
ときに腫れ物に触るように。

みんな、本人の言葉ではなくニュースで報じられた言葉を信じる。

本人が違うのだ、と言っていたならそれでいいんじゃないか、とおもう。
本人が幸せなら、それでいいんじゃないか、と強くおもう。

事実と真実は違う。
正しいから正解じゃない。

と、わたしは思う。



「事実と真実は違う」

更紗と文は、「更紗ちゃん誘拐事件」の被害者と加害者として報道されてしまう。
けれど、ふたりは実際、被害者と加害者ではなく、
お互い足りないところを補うかのように、ぴったりパズルのピースが合わさって、
会うべくして会ったのだ、とも思える。

わたしの声は届かない。
そう思うと、ひとはどんどん相手に伝えようとする気力を失っていく。

そんな、だれといても孤独とおもう更紗が、言葉を受け取ってくれる文と出会えたこと。
自分を知られるのが怖い文が、どんな文も受け入れてくれる更紗と出会えたこと。

この2人を見ていると、2人の世界が守られればそれが一番なのだと思う。

文とわたしのスタイルは日ごとに混ざり合い、けれど中間にはならない。
ちゃんとするときはちゃんとするし、怠けるときは怠けるという具合だ。

甘さとしょっぱさのように、怠惰と勤勉は交互に行うのがよい。

相性が良いって、きっとこういうことを言うのだろう、と思う。

更紗目線で物語が進み、後に文の目線で物語が進む。
どちらの気持ちも知ってしまったら、もう2人の幸せを願わずには、いられなかった。




最後に

わたしは昔からずっとこうやって、
痛みを重ね合わせることでやっと悲しいことに気づいて泣くことができる子供だった。

こんな読み方は危険だ、と何度も言い聞かせてきたけれど、
こんな読み方しかできなかった子供だった。

あの頃の自分を思い出した。

当時は痛みなんて感じていなかったのに、
それはただ、痛みが強すぎて気付いていなかっただけだった。

いまやっと、ちゃんと痛みを感じていた。

どんな痛みもいつか誰かと分けあえるなんて嘘だと思う。
わたしの手にも、みんなの手にも、ひとつのバッグがある。
それは誰にも代わりに持ってもらえない。

それぞれのバッグに入った悲しみや苦しみは、
誰かに見せることはできても、代わりに持ってもらうことはできない。

できないのなら、隣を一緒に歩いてくれるひとの存在がきっとなにより大事だ。

 

そんな相手を、更紗と文は見つけられたのだろう、と思う。

最後の章がとてもすきだった。

そして、第一章を読み直したあと、
ふわりと優しくこの物語は幕を閉じたように感じた。