そして、彼の体は、私を信じられないほど幸福にすることができる。
すべてのあと、私たちの体はくたりと馴染んでくっついてしまう」―三十八歳の私は、画家。恋愛にどっぷり浸かっている。
一人暮らしの私を訪ねてくるのは、
やさしい恋人(妻と息子と娘がいる)とのら猫、そして記憶と絶望。
完璧な恋のゆく果ては…。とても美しく切なく狂おしい恋愛長篇。
登場人物
私|三十八歳、画家。
恋人|妻と息子と娘がいる。
妹
のら猫
はじめに
江國さんの本は、読み始めとても読み辛い。
自分の感情をうまく、文章の波に乗せられなくて
ものすごく高いところから地上の人間の表情を見ようとしているように感じる。
慣れてくると、どんどん地上に降りていって、最後にはものすごく近いところから
この物語の世界を覗いているように感じる。
しかも、読了後の余韻が長く続いて、考えるほど感情が湧いてくるから不思議。
小説に対して、どれも魔法みたいだ、と思っているけれど、
江國さんの小説は特にそう感じる。
恋に溺れそうになったことがある人ならば、きっとグッとくる小説。
感想
恋人
「私」の恋人には、妻と息子と娘がいる。
つまり、恋人には帰る家がある。
帰り道、私は注意深く、来たときと別の道を選んで帰る。
上手く一人に戻れるように。
恋人は、泊まっていく日もあり帰る日もある。
恋人と別れ、家への帰り道で自分をなんとか今までの状態に戻そうと静かに抵抗するのは、恋に溺れそうになっている証拠なのだと思う。
けれど、「私」にとって、恋人はいなくなっては死んでしまうほど
「私」の世界を支配している。
恋人といるとき、私は世界に過不足がないと感じる。
海にいても、街にいても。
それほどの恋。と、どうしようもできない事実。
「私」は、抜け出せない恋に全身をずぶずぶに浸してしまっている。
孤独
「私」は、幼い頃から、孤独を感じてきた。
「私」の生活には度々、絶望がやってくる。
そして、いたずらに言葉を投げかけ去っていく。
そろそろいくよ。
絶望は、子供の頃の話が好きだ。じゃあまた。よくおやすみ。
そう言って絶望はでていき、私はようやく眠ることができる。
絶望は、子供の頃の話が好き。
あぁ、とてもよくわかる、と思った。
孤独から、いつまでも抜け出せない。
どうしてだろう。
私は大人なのに、ときどき子供の時間に閉じ込められているような気がする。
「私」は、孤独で、子供の時間に閉じ込められていて、
恋人といるときの世界は過不足がなくて。
切なくて、苦しくて、でもそれは確かに恋で愛の形をしていて。
それは、わたしには無い愛の世界だった。
最後に
最後にかけて、どんどん惹きこまれてしまった。
最後の最後で、江國さんは本当にずるいな、と思ってしまう。
どうしてこんなに余韻に浸らせてくれるのだろう。
後から後から、こみ上げて。
読了後しばらくたってから、今更のように泣いてしまいそうだった。
「私」は、絶望と仲良くなることができたかな。