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小説

水墨画の世界が教えてくれることー『線は、僕を描く』(砥上裕將・著)感想ー

両親を交通事故で失い、喪失感の中にあった大学生の青山霜介は、
アルバイト先の展覧会場で水墨画の巨匠・篠田湖山と出会う。

なぜか湖山に気にいられ、その場で内弟子にされてしまう霜介。
反発した湖山の孫・千瑛は、翌年の「湖山賞」をかけての勝負を宣言する。

水墨画とは筆先から生み出される「線」の芸術。描くのは「命」。
はじめての水墨画に戸惑いながらも魅了されていく霜介は、
線を描くことで恢復していく。

そして一年後、千瑛との勝負の行方は。

登場人物

青山霜介|主人公。大学生。

篠田湖山|水墨画家。日本を代表する芸術家。
篠田千瑛|水墨画家。湖山の孫。花卉画を得意とする。
西濱湖峰|水墨画家。湖山門下の二番手。風景画を得意とする。
斎藤湖梄|水墨画家。湖山賞最年少受賞者。完璧な技術を有する。

藤堂翠山|水墨画家。湖山も一目置く絵師。

古前|大学生。霜介の自称・親友。
川岸|霜介と同じゼミ。しっかり者。




はじめに

見事に水墨画の世界に惹きこまれてしまう作品だった。

芸術を言葉で伝えるのは、個人的には、かなり難しいことだと思うのだけど、
この作品は、水墨画が描かれていく様子がはっきりと想像できた。

まともに、水墨画をみたことなんてないのに、はっきりと想像できた。
色の濃淡まで浮かび、ときに色彩まで感じた。不思議な感覚だった。

水墨画家である著者・砥上裕將(とがみひろまさ)さんが
水墨画に真摯に向き合ってきたからこそ、
書ける文章なのだと思った。

表現が心に近すぎて繊細な感情さえ言葉になっている。
これも水墨画を描けるようになるまで繰り返し修練してきたからこそ、なのだろうか。

 

読了後、水墨画をすぐに検索し、
展覧会があれば是非とも足を運びたい気持ちになっていた。

もっと水墨画という芸術に触れてみたくなった。
そして、そんな水墨画に魅せられた青山霜介が
水墨画に惹きこまれるほど恢復に向かっていく姿が胸を打った。

この作品は、孤独を知っている人にとても刺さると思う。
そして読了後、
前を向いていく力をもらっていることに気づく。
あなたもきっと、水墨画の虜になる。




感想

細かく描かれる水墨画の世界

この作品は、かなり細かく水墨画に関して描かれている。

だから、水墨画に詳しくないわたしや他の読者の方々も、
青山霜介と同じ歩幅で水墨画の世界に歩み寄っていくことができた。

わたしは、勝手に水墨画というのは竹を描くものだとばかり思っていたので、
春蘭や菊や薔薇などの花から葡萄までも水墨画で描くということに、まずかなり驚いた。

そして、墨一色・筆一本で描かれる水墨画に
あんなにたくさんの技法があったとは、思いもしなかった。

 

「拙さが巧みさに劣るわけではないんだよ」

青山霜介を水墨画の世界に連れてきた湖山先生は、言う。

芸術とはなんなのか、考えさせられる言葉だと思った。

なにを思って、なにを描くのか。
その人の心が線に現れる、という。

 

途方もない努力を積み重ね、繰り返し修練したその先に見えるもの。
私たち素人には容易にはわかり得ないもの。

わたしは、1つの世界を極めた人たちだけが見える世界をのぞかせてもらい、
その世界の素晴らしさを教えてもらったのだと思う。




外側の世界に踏み出した瞬間

青山霜介は、両親を失った哀しみから、抜け出せずにいる。

そんなときに、湖山先生に見出され、水墨画の道に進むことになる。

僕は自分が感じるどんなことにもつまづいている。
そして、何かを感じるたびに、少しずつ疲れていく。

青山霜介は、自分でも気づいていないけれど、生きることからずっとずっと遠くにいる。

なにかを聞かれる度に、なにも答えられない。
だけど、決して話したくないわけではない。

 

言葉で話し始めれば、その瞬間に語りたいことから遠ざかっていく感情を
どうやって伝えたらいいのだろう。

自分自身について語ることがときに、強い苦痛を伴うことを、
千瑛にどうやって説明すればいいだろう?

青山霜介は、いつも頭の中にガラスの部屋を思い浮かべる。
その中から哀しい記憶を何度も再生する。

曇ったガラスの部屋からずっと出られないでいて、出ようともしていなかった青山霜介が、
水墨画、そして水墨画を始めたことで出会ったひとたちにより、
外の世界へ目を向けていく。

 

何かを始めることで、そもそも、そこにあった可能性そのものに気づくのだ。

とにかくやってみること。手を動かすこと。
立ち止まってしまうとき、誰かが背中を押してくれること。

その力で、やがて自分の力でも歩いていけるようになること。

青山霜介の凍りついた心がだんだんと溶けていく。
それに伴い、わたしの心も温められ、読了後すっきりとした気持ちで
前を向いて生きていこうと、思うことができた。




最後に

(中略)深い哀しみや胸の痛みを思い出した。痛みがわずかに和らぐことによって、ようやく痛みを感じることのできるようなそんな感覚だった。

青山霜介がが感じた感覚。

ずるいな、と思った。こんな表現ができてしまうのは。

そして、わかりすぎてしまった自分自身もまた、
深い哀しみや胸の痛みを知っていたんだ、と。

痛みが強すぎて、その痛みに気づかないこともあるのだ、と。青山霜介によって、この作品によって、気づくことができた。

今までわたしが言葉にできていなかったことを、こうやって言い当てられ、
気づかされてしまうから、気づかせてくれるから、
わたしはずっとずっと小説が大好きなんだろうな。

いつまでも、言葉の持つ力を信じてる。

 

『線は、僕を描く』は、砥上裕將さんのデビュー作だそう。

この方の視点で見る世界はどんななんだろう、どんな世界を描くんだろう。
もっと、見てみたいと思った。

次回作が、とっても楽しみです。

 

公式サイト:線は、僕を描く

(公式サイトがとても素敵です!)