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小説

誰かの手料理であったなら、例えそれが凝った料理でなくとも。ー『ハゴロモ』(よしもとばなな・著)感想ー

失恋の痛みと、都会の疲れをいやすべく、ふるさとに舞い戻ったほたる。
大きな川の流れるその町で、これまでに失ったもの、
忘れていた大切な何かを、彼女は取り戻せるだろうか……。

赤いダウンジャケットの青年との出会い。
冷えた手をあたためた小さな手袋。
人と人との不思議な縁にみちびかれ、次第によみがえる記憶――。

ほっこりと、ふわりと言葉にくるまれる魔法のような物語。

はじめに

これを読んだとき、私はひどく心が疲弊してた。

田舎から上京してきた人間だったし、
都会の、人が溢れているのに誰とも繋がっていないような
人間関係に希薄な感じがどうにも苦手で受け入れられなかった。

そして、私の故郷もほたるの故郷のように近くに川が流れてた。
だから、ほたるの感覚や気持ちが良くわかった。

 

田舎は、近すぎる関係性がたまに息苦しさを生んでしまうけれど、
この小説は、じんわりと心をあたためてくれる
田舎だからこその良さが伝わってくる。

寒い季節、暖かな日差しの中で河川敷を歩くほたるの姿が
はっきりと浮かんだ。

 

都会の生活や人間関係に疲れた人に
ぜひ田舎の暖かさを感じたり思い出したりしてほしい。


感想

いんちきラーメン屋

故郷に戻ったほたるは、
眠れない夜に散歩へ出かけ、一軒の家にちょうちんの灯りを見つける。

そのお店をやっているみつるは、
父との死別を受け入れられない母と一緒に心のリハビリをしていて
スキーのインストラクターの仕事を休んで気晴らしに自宅でラーメン屋さんをしている。

いや、ラーメン屋さんなんて名乗れる立派なものではなく、
自宅の玄関にちょうちんを出しているだけ。

そんなお店(自宅)で、卵や野菜を乗せたインスタントラーメンを振舞っている。

 

すぐにラーメンが出てきて、心の中ではばかにしていたのに、
案外おいしくて私は嬉しくなった。

あらびきのこしょうや新鮮な野菜や卵のせいだけではなくて、
同じものでも人が作ってくれるとおいしいものだ。

ふらっと入ったこのいんちきラーメン屋で
みつるがつくるインスタントラーメンを食べて、
ほたるはこうやって、嬉しく思う。

インスタント食品は、自分で作って食べるときや
自分で作ったとしても誰かと食べるときや一人で食べるときで
大きく味が変わる食べ物だと私は思っている。

 

だから、このときみつるは、ほたるの心をしっかりと温めていたのだろうな。

そして、ほたるのようにふらっとお店にやってきたお客さんたちの心を
幾つも温めていたのだと思うと、
人が作ったという確かな温もりを振る舞う
こういうお店が何軒かあったら救われる人がいるのだろうと思う。


「どこ」で「だれ」と食べるのか

 

たこ焼きは熱くて、おいしかった。
東京ではなんでもない味なのかもしれなくても、
こうして川の前で食べると全然違う。

お茶の缶の熱い感触も、まるでカイロのように
手にしみてくるように感じられた。

顔が外気で冷たいのが、また心地よい。

 

みつるくんとほたるが川縁でたこ焼きを食べる。

特別美味しい手の込んだものではないけれど、
「どこ」で「だれ」と食べるのか、というのはすごく大事なことだ、と思う。

 

学生の頃、よく屋台のような小さいお店で買い食いしていた。
たこ焼きやクレープの味は思い出とともにいつまでも私の心に在って
どうでもよくないご飯の記憶が今の私を支えている。

そんなような思い出が、ほたるにとってはこのとき
とっても大切でみつると食べたたこ焼きの味は
ほたるのこれからの人生をこれからもふわりと温めるのだろう。


るみちゃんのふしぎな力

この小説の良さを引き立てているのは、確実にるみちゃんだと思う。

るみちゃんは、ほたるの父が再婚しようとしていた彼女の連れ子の娘で
母が占い師であるからなのか、とても変わっている人だ。

カッパだったり、溶けた姿の幽霊だったりが見えてしまう。
しかも、溶けた姿の幽霊が初恋の相手とまで言ってしまう。

 

そんなるみちゃんとほたるは、
結局ふたりの親は再婚しなかったけれど、
それ以降も度々連絡をとる仲となり、故郷に帰ったことで再会する。

 

そして、ほたるはるみちゃんと話しているとき
るみちゃんに対してこう思う。

私は、二十代半ばにもなって、自分がいかに幼いかを思い知った。

私が人のためだけに自分の時間をさき、できるようになったことは
写真の現場のちょっしたアシスタントとひまな時期に通いでとった
ネイルアートの資格だけだったこの長い時間を、
ちゃんと自分のむいていることに向けて、
自分を見つめて着実に過ごしている人もいるのだ。

 

 

こんな風に、思える、思わせてくれる人がいるというのはすごく良いなと思った。

何だろう、、、今でいう「しいたけ占い」のしいたけさんのような感じがする。
母にはかなわないし、同じ道はつまらないからと占い師の道を選ばなかったけれど、
るみちゃんは絶対に占い師ができると思う。

るみちゃんに人生相談乗りたくなる。

自分の芯をしっかり持っていて、自分の世界観のなかで
しっかり立っている人というのは、なんて凛々しいのだろうな。


最後に

弱っているときにしか価値がないともいえるが、
弱っているときにじんわりとしみてくる気がする。

文庫版あとがきで著者がこう言っていて、
あぁ、とても良くわかる。と思った。

そして、著者が自分の作品を特に優れたわけではないと言っていて、
そんな小説が10年で16刷も増刷しないでしょう、、、と反論したくなった。

確かにこの小説を必要としている人がいて
こうやって多くの人に求められる小説というのは
読んだ人一人ひとりの中で生き続けるのだろう、と思う。

 

どうしようもなくダメでどうにもできない渦の中にいたとき、
何冊もの小説に何度も救われてきた。

この小説にも、救われた。
この小説のおかげで抜け出すことができた。

私の中で殿堂入りしました。

 

辛くなってどうにもできなくなりそうになったら
また、この本を開きたいと思う。