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小説

こちら側とあちら側、記号と象徴。ー『スプートニクの恋人 』(村上春樹・著)感想ー

22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。
広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。

それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、
理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。

――そんなとても奇妙な、この世のものとは思えないラブ・ストーリー!!




ずっと苦手意識のあった村上春樹作品を読みました。

Twitterでおすすめを聞いたら、たくさんの方にリプいただいて嬉しかったです。

 

その中から、一番自分が読んできた小説の雰囲気に似てるものを選びました。

 

大正解でした。

『スプートニクの恋人』すごく良かったです。
こんな風に書くこともできる方なのかとびっくり。。。
(1Q84の世界観がかなり衝撃的だったので)

現実と夢、または妄想の世界の狭間でふわふわとしながら、夢中になって読み切りました。




感想

一方通行と相互通行

作家を目指しているすみれ、その友達の小学校教師をしているぼく。
そして、すみれが恋した韓国人女性のミュウ。

三角関係。一方通行な恋。

 

読み進めるほどに、「ぼく」の孤独さが深みを持ち始めた。

その日は久しぶりに新宿の街に出て、紀伊国屋書店で新刊書を何冊か買い、映画館に入ってリュック・ベッソンの映画を見た。それからビアホールでアンチョビのピザを食べ、黒ビールの中ジョッキを飲んだ。そしてラッシュアワーがやってくる前に中央線に乗って、買ったばかりの本を読みながら国立まで帰った。簡単に夕食をつくり、テレビでサッカーの試合を見るつもりだった。理想的な夏休みの過ごし方だ。暑くて孤独で自由で、誰の邪魔もせず誰の邪魔にもならない。

こんな孤独の楽しみ方ができる「ぼく」に対して
わたしも似たような孤独を知っている気がしたから、
ついついその心情にのめり込みそうになった。

(お酒を飲むこと以外は、ほとんど同じ理想的な休日の過ごし方!)

 

途中でギリシャに舞台が移りギリシャの美しい情景を浮かべて、
そこで起きていることとの対比にじわじわくるしくなった。

 




こちら側とあちら側

こちら側とあちら側。

ミュウ、すみれ、ぼくの「こちら側」と「あちら側」を思った。

現実と夢が曖昧で、ギリシャの美しい情景が
その曖昧さをより際立てているような気がした。

 

少し書いただけで、ネタバレになりそうで、
でも全てを書いたところで解釈は無限にあり
ネタバレなんてことばは存在しないような気もする。

 

 

理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。

という、すみれの言葉は印象的だった。

理解しているはずのことは実は思い違いでしかなく、
そんなことを思い出すと、あれは現実ではなく夢で、
それならば全てが夢の中だったのだろうか、、、とまで考えてしまった。

 

思考がぐるぐるして一向に答えにたどり着けない気がしたけれど、
結末は少し上向きで、爽やかな読後感だった。




最後に

今回から感想以外の部分を「です・ます調」で書くことにしてみました。

 

読み終わった後、縮こまっていた自分の脳内がぐんと広がって、
どこまでも思いを巡らせてくれる作品でした。

これは、再読すればするほど沼にはまってしまうだろうな。

1度読んだだけでは、うまくこの記事を書けた気がしない。
また、再読したら自分でこの記事も読み直そうと思います。

 

そしてついに、村上春樹作品の魅力に取り憑かれてしまったかもしれない。。。

おすすめしていただいた作品はまだまだあるので、
また近いうちに読もうと思います。

 

最後に、わたしが好きなすみれとぼくの会話を引用します。

すみれは言った、
「ねえ、自分が今やっていることが正しいかどうか迷うことってある?」

「迷わないことの方がむしろ少ない」とぼくは言った。

「本当に?」

「本当に」