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小説

誰かを知ろうとすることは痛みを伴うことだー『やめるときも、すこやかなるときも』(窪美澄・著)感想ー

2020年放送 ドラマ『やめるときも、すこやかなるときも』原作小説。

家具職人の壱晴は、毎年十二月の数日間、声が出なくなる。
原因は過去にあったが、誰にも話さず生きてきた。

一方、会社員の桜子は困窮する実家を支え、恋とは縁遠い。
二人は知人の結婚式で偶然出会い“一夜”を過ごすが、
後日、仕事相手として再会し…。

欠けた心を抱えた二人が戸惑い、
傷つきながらも歩み寄っていく道のりの痛みと温もり。
他者と共に生きることのいとおしさに満ちた傑作長編小説。




これは、表紙買いだった。

表紙の写真が、わたしの好きな写真家・岩倉しおりさんで思わず手に取った。
そして、窪美澄さんの小説の温度感を今のわたしが欲していた、というのもあった。

 

窪美澄さんは、人間のずるさとか卑しさを描くのがうまいと思う。
けれど、読み終えると不思議と前に進む力をもらえていることに気づく。

それはきっと、綺麗事が並べられていないから。
全部を上手く受け止めることは無理だけれど、
それでもどうにか生きていこうとする人たちが描かれている。

等身大な感じがするのだ。

 

『やめるときも、すこやかなるときも』は、
不器用で、でも歩み寄ろうともがく2人の恋の物語。

交互に主観が変わるから、2人の心を同時進行で知って
度々、胸を締め付けられるような思いがした。

けれど、静かに進んでいく物語で、
窪美澄さんの描く雰囲気を味わえた作品だった。




感想

誰かを知ろうとすることは痛みを伴うことだ

家具職人の須藤壱晴。会社員の本橋桜子。

二人の出会いは、偶然で突然何もかもが始まってしまった。

お互いに上手く歩み寄れず、気持ちのすれ違いにもどかしくなる。

 

 

親鳥が雛を守るような気持ちになる一方で、
柔らかな産毛を力尽くでむしってやりたいような気持ちにもなっている。
相反する感情が私のなかで揺れている。

どうにもパッとしない壱晴の言動は、桜子を不安にさせる。

それは、家具職人だからこその寡黙さからなのか、
壱晴の抱えた苦しみがそうさせているのか。

 

交互に主観が変わり、そのペースがすこし早く感じた。
どちらの心の声も聞こえてしまうから、
ちょっと待って欲しい、と思いながらゆっくり読んだ。

 

人は歩み寄ろうとするとき、痛みを伴うものだと思う。

でも、痛くても苦しくても良いからこの人に近づきたい。
もっと相手のことを知って、もっと何もかもを共有したい。

そう思うことが、誰かを愛することなのだろうな、と思わされた。

 

読み手のわたし自身も苦しくなったけれど、
お互いを理解して距離を縮めていく二人を見守るような気持ちになった。




忘れることなどできない

その人が目の前にはいないのにその人のことを思い出して記憶を反芻する行為は、もうすでにその人が自分のどこかに住み着いてしまったことと同じなんじゃないだろうか。好きとか嫌いとか、はっきりとした感情がなくても。

過去を乗り越えられない壱晴。

 

壱晴の過去が、しっかり描かれていて、
その情景は壱晴の心の痛みをより強く印象付けている気がした。

 

”その人が自分のどこかに住み着いてしまったことと同じ”

それほどの痛みを背負って生きていくこと。

そんな相手と共に生きていくこと。

 

誰かと共に生きていくことの難しさを感じたのと同時に、
そこまで思える相手に出会えたこと、
そしてお互いに理解しようとする努力の素晴らしさをおもった。




最後に

もし本橋さんをイメージしながら椅子を作るのなら素材は無垢の木だろう、という気がした。

壱晴の家具職人らしいこの言葉が好き。

誰かをおもって作られた家具。

それが、作られていく過程も描写されていて、
思いのこもったものづくりに心が暖かくもなった。

 

人との出会いを大事にしたい、と思える作品だった。