祖母と暮らしてきた大学生・桜井みかげだが、
その祖母さえも亡くしてしまい、天涯孤独の身となる。
ある時、同じ大学の学生で、
祖母の行きつけの花屋でアルバイトしている田辺雄一に
声をかけられ、雄一宅に居候することとなる。
雄一はオカマバーを経営する
母・えり子(実は父・雄司)と2人暮らしである。
みかげは田辺家のキッチンで眠るようになり、
風変わりなえり子・雄一親子とも少しずつ打ち解けていく。
かつてのボーイフレンドとの再会などを経て、
日を追うごとに祖母の死を受け入れ、みかげの心は再生していく。
はじめに
『キッチン』というタイトルだけ聞いたことがあった。
裏表紙に、
「世界二十五国で翻訳され、読みつがれる永遠のベスト・セラー小説」
と書かれたこの小説は、いつか読みたい本リストに入っていた。
ついつい最新刊や、自分の読み慣れた作家さんの本ばかり手に取ってしまって、
だから、読むのを先延ばしにしていた。
読了後、なんで早く読まなかったのだろう、と後悔した。
どの小説よりも、後悔した。
そのくらい、なんというか、
期待をはるかに超えて良かった。
心にスッとはいってきて、じんわり広がっていく文章、
という印象がした。
こんなにたくさんの死が溢れているのに
こんなにあたたかな空気を纏うこの小説は、
一体どれだけ多くの人の心を救ったのだろう。
別れというのはつらいものであるけれど、
ひとの暖かさに支えられてまた力強く生きていくことができる、
そんな強さをくれる小説。
感想
優しさは孤独のかなしみを消してくれる
雄一とその母・えり子(実は父・雄司)。
この2人の暖かさがすごい。
ものすごい。
祖母の行きつけの花屋でアルバイトしていた雄一は、
祖母が亡くなってひとりになったみかげに何かしたいと思う。
そして、祖母と暮らした家を出なくてはならないみかげに
自分の家に住むことを誘う。
行く所がないのは、傷ついた時にはきついことだから、
えり子もそう言ってみかげを快く迎え入れる。
大切な人を失って、
あぁ、わたしは世界にたったひとりだ、孤独だ、と思う。
それがどれほどつらいことなのか、
途方もなく暗くて深いかなしみに襲われる。
抜け出す術なんて無いんじゃないか、と思う。
そこには絶望に似たかなしみがある。
みかげの人生にこの二人がいてくれて本当に良かった。
このふたりもそれぞれ、大切な人の死を経験している。
つらさの乗り越え方は人それぞれだ。
えり子は、もう誰も好きになりそうにないから女になった。
雄一は、どこか遠くへ行くことでつらさから逃れようとした。
この小説では誰もが乗り越えるためにもがいていて、
それがとても、素敵だなと思う。
だからどの登場人物も魅力があって、
暖かい光を纏っているように感じるのだろう。
それがこの小説全体の雰囲気にも通じているのだと思う。
みかげの力強さ
私は二度とという言葉の持つ語感のおセンチさや
これからのことを限定する感じがあんまり好きじゃない。でも、その時思いついた「二度と」の
ものすごい重さや暗さは忘れがたい迫力があった。
バスの車内でみかげの前に座る、おばあさんと孫。
おばあさんに言われ、孫が1番後ろで寝ている母を起こしに行く。
そんな姿をみて、
孫であるその子をうらやましい、と思う。
そうやってちゃんとうらやましい、と思う。
そして、死んでしまった人には
もう二度と会うことはできない。
そのことをはっきりと認識する。
それでも、ちゃんと前を向こうとする。
ただ、二度と会えないことがどういうことなのか、
人生を悲観したくはないけれど、
重く暗い事実を受け止めるには、迫力がありすぎた。
1歩引いてものごとをみることで
かなしみを乗り越えてきたみかげにとっても、
「二度と」が意味する重さや暗さの迫力にやられそうになる。
しかしそれでも、俯瞰的に自分を見て暗くなることなく
前を向いて生きていこうとするみかげの力強さを感じた。
苦しみの先にある美しさ
闇の中、切り立った崖っぷちをじりじり歩き、国道に出てほっと息をつく。
もうたくさんだと思いながら見上げる月明かりの、
心にしみ入るような美しさを、私は知っている。
みかげの働くスクールに料理を習いにくる女の人たちは幸せを生きている。
そんな美しくてやさしい人生を歩む女の人たちを見て、
うらやましい、と思う。
それと同時に、本当に楽しいことを知らない。と、みかげは思う。
そんな女の子たちにはわからないだろう、
闇の中に光る月明かりの美しさをみかげは知っている。
時に、自分の人生を嫌悪し、すべてを後悔してしまうけれど。
みかげは、あの美しさを知っているのだ。
それはきっと、あの女の人たちよりつらいことが多いのかもしれない。
だけど、きっと彼女たちより広い世界を生きている。
広い世界を生きていてほしい、と思う。
人生の奥深さや人生の味わい方を、
きっと、大変な思いをした人であればあるほど
わかっているのじゃないかと思う。
そっちの方が良いよな、とこの本を読んで思うことができた。
わたしは、みかげの生き方が好きだ。
最後に
号泣した。
とめどなく溢れる涙、
とはこのことか、というくらい号泣した。
なぜ、人はこんなにも選べないのか。
虫ケラのように負けまくっても、
ご飯を作って食べて眠る。
愛する人はみんな死んでゆく。それでも生きてゆかなくてはいけない。
私たちは、「明日」が来ることを避けることはできないけれど、
ひとの暖かさに触れ、支えられたり支えたりすることで、
たしかに来る「明日」を生きていくことができる。
大切な誰かを失ってしまったとき、またこの小説を読みたいと思う。