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小説

静かな感情の恋とはー『窓の魚』(西加奈子・著)感想ー

温泉宿で一夜を過ごす、2組の恋人たち。
静かなナツ、優しいアキオ、可愛いハルナ、無関心なトウヤマ。

裸の体で、秘密の心を抱える彼らは
それぞれに深刻な欠落を隠し合っていた。

決して交わることなく、お互いを求め合う4人。
そして翌朝、宿には一体の死が残される──
恋という得体の知れない感情を、これまでにないほど奥深く、
冷静な筆致でとらえた、新たな恋愛小説の臨界点。

はじめに

ずっと雨が降っているような小説だった。
紅葉がやってくる秋の頃の話なのに、じめじめとした梅雨の時期のような。

ザーザー降るんじゃなくて、しとしと降り続いていて、
静かでひんやりとした空気を感じた。

 

とても、死というものを身近に感じる話だった。

 

フランス映画を見ているような余韻の残るこの小説は、
大人になったからこそ多くのことを感じ取れる小説であり、
楽しみ方も人によって大きく違ってくるのだろうと思う。

いろいろな恋愛をしてきたひと、あたらしい感情を知りたいひとに読んでもらいたい小説。


感想

ナツ、アキオ、ハルナ、トウヤマ

この本の構成は、4人それぞれが主観で話す章に分かれている。

ナツとアキオ、ハルナとトウヤマ。

この2人組はそれぞれ付き合ってるはずなのに、
並んだ姿はどちらも明らかに不釣り合いだ。

 

本来、一緒にいないような2人が、一緒にいる。
そんな2人をみたとき、違和感を感じざるを得ないだろう。

それぞれがそれぞれをちゃんと見ていなくて、
誰一人として同じ空間を共有していない。
だけど、互いに求めあっている。

その空気感に、ゾッとした。


静かなナツ

 

ナツは、度々、時間の感覚がなくなり、
現実の世界と幻想の世界を行ったり来たりしている。

 

この話には、4人以外が旅館で起きた事件について語る場面が何度か登場する。

あの子は、「死」というものと、とても近いところに存在していたような気がするのです。そしてその気配を漂わせることで、ますます己を輝かせる、そんな魔力を持った子であるような、気がするのです。一瞬しか見ていないのに、あの子は私の心を、完全に捉えてしまったのです。

宿の女将はナツを見てこう思う。

現実と乖離している瞬間の多い人に、
何故か惹きつけられてしまうのは
同じ空間を共有していないからだと思う。

目の前にいるのに、此処に存在していない。

掴めそうなのに掴めないような、
もどかしい気持ちがして得体の知れない何かを感じる。

そんなことを、宿の女将だけでなく、
出会った人全てに対して思わせる力が、ナツにはあるのだろう。


優しいアキオ

アキオは優しく元気で、一見すると明るく、
この4人の中で1番暗い部分が見えない。

だけどアキオは、死の側に身を置いていたいと願っている。

いずれ消えてしまうことを、健康な者より強く運命付けられている、
全てのものを愛した。

確実に死に近づいていく人間に惹かれ、
そんな生きる意志の感じさせないナツのことを好きでいる。
だから、アキオはナツと一緒にいる。

静かな感情でナツを見つめている。

いろんな負の感情を、ナツに対する愛情に変えているアキオは
もしかしたら誰よりも弱い人間なのかもしれない。


可愛いハルナ

ハルナは、嘘の自分で自分の身を守っている。

顔も。心も。
あんな母親のようになりたくないから。

整形やエステ、あらゆることをして、
母親と同じにならないようにする。

毎日眼球にべたりと貼りついたコンタクトは、黒目よりも大きく作ってあるから、
あたしの瞳を茶色く、潤んでいるように見せる。

あたしの瞳の奥の何かを、それは上手に隠してくれる。

誰も、あたしの本当の姿を知らない。

カラーコンタクトを付けて、自分を守ること。

一度は付けたことのある女の子なら、
ハルナの気持ちが分かるんじゃないかと思う。

目は、言葉にするより本心を伝えてしまったりするから。
本当の自分を隠したいとき、
カラーコンタクトをつければ違う自分になれる気がする。

そうやって本当の自分を隠して生きるハルナは、
綺麗で可愛いはずなのに、とても、息苦しそうに見える。


無関心なトウヤマ

バーテンダーをしているトウヤマの元には、
たまに店にやってくる風俗嬢の女から
しつこく電話がかかってくる。

もしかしたら、あいつは俺のことを、好いてるのではないか。
それは願望ではなかった。予感でもないし、ましてや確信でもなかった。

ぶるぶる震えている携帯を見ていると、そう思った。
ドロドロに酔って、携帯を耳に当てているあいつの姿は、
俺の胸をつかんで離さなかった。

あいつは俺のことを、めちゃめちゃに恋しがっている。
俺に、死んでほしくないと、思っている。

幼少期、従兄弟が亡くなったことがきっかけで
自分が溺愛されていることを認識したトウヤマの
愛情に対する考え方は歪んでいる。

憎むほど嫌いだと思っているのに、
しつこく電話をかけてくるこの女に、心を捉えられてしまう。

そして、付き合っているハルナのことを
トウヤマは全く見ていない。

その空っぽな関係が、ひどく虚しいと思った。


中庭の鯉、牡丹の刺青、そして猫


静かで色の褪せたこの小説の世界で、
これらは際立って見え
不思議な雰囲気をより一層強くしている。

 

内風呂から見ることができる、中庭の鯉。

湯船がそのままガラス越しに庭園の池に面しており、湯船よりも、池の水面の方が高い。
時々錦鯉の影がゆらりと動く。赤や白や、黒。

 

ナツがお風呂で会った女の人の脚に入っていた、牡丹の刺青。

その人は太腿に、大きな牡丹の刺青をしていた。
腿の正面から内腿にかけ桃色の花びらがふわりと広がり、
そのまま脚に絡みつくように茎と葉が陰影を描いている。

 

そして、姿の見えない猫が何度も登場する。
ニャアと鳴く声だけが聞こえ、姿は決して見えない。

中庭の鯉、牡丹の刺青は、色彩的に印象づくものであるし、
姿の見えない猫も、物語の不思議さを際立たせている。

そういう、物語の色を濃く、より一層混沌とさせる描写が、西さんはとても上手いと思う。


最後に

 

読んでいる途中、言葉の隙間からツンとした嫌な匂いがした。
人間くささを消してしまう匂いがした。

その匂いにハッとして。

 

電車で本を読んでいたわたしは、
気づいたら降りる駅をとっくに過ぎてしまっていた。

 

ナツは時間の感覚がなくなってきているのかもしれない。

 

時間の感覚がなくなる、ということだけを見ればわたしもナツと同じ経験をした。

久しぶりに小説の中に引っ張られてしまって、
なかなか戻れずしばらくぼーっとしていた。

私もまた、女将さんのようにナツに心を捉えられてしまったのかもしれない。
あのときの女将さんの心情が、理解できた気がした。

 

最後には、それぞれが相手に対して話してみようと思う。
少し前向きに終わる終わり方が好きだ。

決して交わることのなかった彼らが、
少しでも、本当の自分として関わるようになったなら、
そしたら、相手は違えど、またこうやって誰かと温泉旅行にきたりするのだろうか。

 

その旅行先には、綺麗な牡丹の花が咲いていてほしいと思った。
そして、そこにも猫がいて、今度はちゃんと姿が見えてほしいと思った。