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小説

静謐で狂おしい物語、消えゆくもの。ー『薬指の標本』(小川洋子・著)感想ー

楽譜に書かれた音、愛鳥の骨、火傷の傷跡……。

人々が思い出の品々を持ち込む〔標本室〕で働いているわたしは、
ある日標本技術士に素敵な靴をプレゼントされた。
「毎日その靴をはいてほしい。とにかくずっとだ。いいね」

靴はあまりにも足にぴったりで、そしてわたしは……。
奇妙な、そしてあまりにもひそやかなふたりの愛。

恋愛の痛みと恍惚を透明感漂う文章で描いた珠玉の二篇。

登場人物

〈薬指の標本〉
わたし
弟子丸氏|標本技術師

〈六角形の小部屋〉
わたし

老婦人
ミドリさん
ユズルさん|小部屋の管理人




はじめに

表題作「薬指の標本」、そして「六角形の小部屋」。
どちらも、不思議な物語だった。

薬指の標本。
思い出を標本にするという、標本室。
標本技術師の謎めいた存在。
惹かれていく「わたし」。

いつの間にかのめり込み、「わたし」自身がだんだんと溶けていってしまうようだった。

六角形の小部屋。
自分と向き合い語りかけることで、
解り、向き合えたものはなんだったのだろう。

愛を求め、すがり、そしてあるきっかけで消えた感情。

不思議な世界観で、静謐で、狂おしいこの物語に
あなたもきっと囚われてしまうだろう。




感想

サイダーの中へ溶けてゆく

「わたし」が働くことになったのは、思い出を標本にするという、標本室。

 

本当に標本を必要としている人たちは、目をつぶっていてもここへたどり着けるのです。標本室の存在とは、そういうしのびやかなものでなければならないんです。

依頼人の持ち込んだ物は、
どんな物でも標本にする弟子丸氏に次第に惹かれていく「わたし」。

弟子丸氏がプレゼントした靴は、どんどん「わたし」にぴったり馴染んでいく。

標本室という狭い空間の物語は、
どこか異質で謎めいていて危うさを感じるのに惹かれてしまう。

 

小川洋子さんらしい文章に、痺れた。
短いけれど、余韻がしばらく長引いて、わたしを離してくれなかった。




語りかける言葉はわたしの中で反響する

スポーツクラブで出会ったなんだか気になる存在・ミドリさんの後を
ひっそりとついていってたどり着いた先にあった六角形の小部屋。

 

「きっかけなんて どうでもいいんですよ。
寒くて暗い中、ここまで 辿り着くことが 大事なのよね」

 

どうやら六角形の小部屋も、必要としている人がたどり着口ことのできる場所のよう。
そこは、人がひとり入れるほどの空間で、言葉を吐き出し語るための空間。

自分自身に意識を向けすぎると、ときに心はどんどん疲弊してく。
けれど、自分と向き合い、言葉にすることにより
認識できる感情もあるのだ、と思う。

そのための小部屋が確かに存在したならば、
わたしは、きっと入り過ぎて心も身体も疲弊させてしまうだろうな。




最後に

この本を手に取ってしまったのは、タイトルに惹かれてしまったから。

江國さんの本は、タイトルから入ることが多い。
『ブラフマンの埋葬』も『冷静と情熱のあいだ』もそうだった。

表題作である「薬指の標本」は、フランスで映画化されていて、
こちらもとても素敵な作品だった。

静謐で狂おしい物語の世界が、きちんと映像にも反映されている。
本を読んで、この物語を味わった後には是非映画も観てほしい。

言葉にするのは難しいけれど、
最後に残るいろんな感情は私たち読者を楽しませてくれる。