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小説

なにを大事に生きるのかー『風に舞い上がるビニールシート』(森絵都・著)感想ー

自分だけの価値観を守って、
お金よりも大事な何かのために懸命に努力し、
近づこうと頑張って生きる人たちの1日を描いた短篇集。

才能豊かなパティシエの気まぐれに奔走させられたり、
犬のボランティアのために水商売のバイトをしたり、
難民を保護し支援する国連機関で夫婦の愛のあり方に苦しんだり…。

自分だけの価値観を守り、
お金よりも大切な何かのために懸命に生きる人々を描いた6編。
あたたかくて力強い、第135回直木賞受賞作。

はじめに

私がこの本を最初に読んだのは中学2年の頃で、
最近また古本屋で見つけて嬉しくなって読み直した。

森絵都は児童文学の世界ではかなり有名で、
ちょうど世代だった私は小学生の頃からずっとそばに森絵都の作品あった。

 

この6本の小説の共通テーマは、
主人公が「大切なものを守る生き様」を描いた作品だということ。

 

お金よりも大切なもののために懸命に生きるそれぞれの主人公の価値観に触れられ、
自分の価値観の居場所を見つめ直すことができた。

 

当時の私は、周りにいる多くの人に価値観を押し付けられ
自分のことを否定してばかりいたけれど、
この小説の主人公たちの揺らぎない価値観に安心感を得て
私もそんな風に「自分の考え」を大切に生きて良いのだと前向きになれた。

いろんな人の考えを知ることができ、短編集としてどれも読み応えのある作品。



感想

器を探して

 

弥生は、東京で才能豊かなパティシエ・ヒロミの片腕として働き、
その気まぐれに奔走させられる。

プライベートが度々侵害され、婚約寸前の彼との関係も危うくなる。
しかし、それでも弥生はヒロミから離れようとはしない。

 

「恋人」と「ヒロミ」とならば時に前者を選ぶ弥生も、
「恋人」と「ヒロミのケーキ」を秤にかけると、
否応なしに後者へ傾いてしまう。

 

そこまで弥生の心を掴んで離さない「ヒロミのケーキ」ってなんなのか。
麻薬でも入っているのか。

そこまで信奉できる弥生を羨ましく思った。

 

「あのさ、俺、弥生ちゃんのこと大好きだけど、
その菓子に対する思い入れっていうか、狂信的なところ?
どうもそこだけはついていけなくてさ。だって、所詮は甘いもんじゃない。

一個五百円かそこらの三時のおやつじゃない。

億単位の金を動かすこともめずらしくない俺からしてみるとさ、
そこまで鼻息荒くすることもないんじゃないかって思っちゃうんだよね、正直なとこ」

では、あなたはその億単位の金で誰を喜ばせたのか。
誰もが簡単に、平等に手を伸ばせる幸せを、
たしかな満足をもたらすことはできたのかー。

 

誰もが簡単に、平等に手を伸ばせる幸せ。

 

確かに自分が関わっている仕事で、売り上げがいくら立とうと
誰かの幸せそうな顔は浮かばない。

 

人の気持ちを動かすことの方が、お金を動かすことより素敵なことだ、って。

誰かを喜ばせられる方が、なん億稼ぐことよりも、
ときに難しく大事なことだと気付かされた。




犬の散歩

主婦である恵利子は、犬のボランティアのために水商売のバイトをする。
夫の稼ぎで余裕で暮らしていける恵利子が、
自分で稼いだお金でボランティアをするのには理由があった。

常連のお客さんに、なぜバイトをすることにしたのか聞かれ恵利子は牛丼の話をする。

 

(中略)みんなで買い物に行って、Tシャツ一枚買おうか迷ったときにも、
彼の基準となるのはやっぱり牛丼でした。

三千円のTシャツを買うお金があったら、牛丼が七杯食べられる。
七杯ぶんの牛丼を犠牲にするだけの価値がそのTシャツにあるのかどうかって、
いつもものすごく真剣に、牛丼を通して彼は世界を捉えていたんです。」

 

「ええ、でも私には彼がうらやましかった。
だって、牛丼中心のその世界があまりにも断固として、揺らぎがなかったから、
なにを基準に生きれば良いのかわからなくて、いつも誰かの物差しを借りてばかりいた。
恋人とか、友達とか、両親とか、身近な人たちの考えに頼って、ぶらさがって……」

 

ボランティアを始めた恵利子は、犬のエサ代を基準に生きるようになる。
基準ができ自分で稼いだお金でボランティアをすることで
恵利子の生活は安定していく。

 

自分の中に揺らぎのない基準があり、それを大事に生きることで毎日が安定する。
そんな断固として揺らぎのない基準が自分の世界の中心にあったなら、
それがあることを人は幸せと呼ぶと呼ぶのだろうな。

 

恵利子は自分にとっての牛丼をみつけ、自分で稼いだお金を使うことによって
自分の生きていく指標を見つけた。

 

私にとっての牛丼は、一体何だろう。
すぐに答えられる人って、そんなに多くないと思う。

 

そして、今の私はその基準がないな。

自分にとっての牛丼を探したい。




守護神

ホテルでバイトをしながら夜間の大学に通う祐介は、
大量のレポートの課題をこなせず、単位取得に苦労していた。
そこで、レポートの代筆をしてくれると噂のニシナミユキを頼ることにする。

しかし、ニシナミユキは誰のレポートでも代筆するわけではなく、
1年前断られた祐介は今年も代筆をやってもらおうお願いをすることにするが。。。

 

 

学校は、仕方なくいくものだと思っていた。

だから、一度社会に出てから大学に通う人の気持ちなんて
当時中学生のわたしには1ミリも分からなかった。

学べるということに対して、働くようになってから魅力を感じた。
それまで、本当に理解ができなかった。

だから、当時の私にはあまりしっくりくる話ではなくて、
読み直してからようやくこの話の魅力に気づいた。

 

「会社にさんざん泣かされてきたから、
同じように泣かされている人を見てられないのよ。

私の目の黒いうちは、組織や上司に屈して中退する社会人学生を出したくないの」

 

時間に追われる社会人学生・祐介は、
ニシナミユキに話すことによって本当の自分の気持ちに気づく。

 

理不尽なことがはびこる社会で、
やりたいことをやり続けることがどんなに困難なことなのか
知ってしまったから、祐介を応援したい気持ちになった。

 

ただ真面目にまっすぐ頑張ることが必ずしも正しいわけではなく、
独りよがりで頑張ることは立派なことではない。

 

弱さを人に見せられるのも1つの徳性。

なのだな、と。

 

 

不器用な祐介が大学を4年で卒業できることを、願ってる。




鐘の音

仏像の修復士として働く潔は、仏像の修復に尋常ではない情熱を注いでいる。
鐘の方が注目されてしまうお寺でボロボロの仏像を修復するため、
泊まり込みで不空羂索という仏像を修復することになる。

しかし、不器用であるが故に親方と衝突してしまう。

 

たとえ薄給でも仏に携わる道を選んだ以上、
一個人としての幸福には潔く背を向ける。

それがけじめであり、覚悟の証明であると思っていた。

吾郎のように趣味に興じたり、
松浦のように女に入れこんだりする修復士を潔は信用しない。

あんな俗物には仏像に触れる資格などない。俺は違う。

不変の価値をもって人生を照らしてくれる仏たちのために、
この頭のてっぺんから足の先まで余さずさしだすのだ。
すべての線を一寸の間断もなしに仏へ捧げ尽くすのだー。

 

 

それだけ、思いを持って働けるということが私からしたら眩しい、今も。
好きなことを仕事にしているからの苦悩でさえ、羨ましい。

手に職つけることに憧れを抱いたのも、ここまで熱くなって衝突できる、
そんな風に生きていける未来が欲しかったからだった。

勉強だけしていてもダメだって、自分から何か興味を持って
あれこれやらないとダメだって、自分を責めて。

 

修復士という仕事のことをこの小説で知ったし、無知であることは人生を貧しくする。

 

結局、そんなにまで熱中することを見つけられなかったし
そんな仕事をしているわけでもないから。

間違った方向を向いていたって、揺らがない価値観があることが良いなと、思った。




ジェネレーションX

中堅の出版社社員・野田は、若手の玩具メーカー社員とクレームへの謝罪に赴く。
しかし、若手社員は車内でプライベートな電話を何度もやり取りし、野田を苛立たせる。
そんな世代間のギャップにより、謝罪に赴く車内の空気は怪しくなっていく。

 

 

これは当時読んだときといちばん気づきが違っておもしろかったな。
世代間のギャップって大人になればなるほど、感じるものなのかもしれない。

 

「野田さんの言う意味もわかるけど、でも結局、
年よりもやっぱ個人差じゃないっすか。

二十代だって結婚してる奴はしてるし、
子供いる奴もいるし、四十代になっても独身で遊びまわって
親もぴんぴんしてる人もいる。

全員が全員、子育てや奥さんの機嫌とりで疲れきってるわけでもないし」

 

ズバズバ言う若者好きだ。
そして私も、まさにこんな感じだ。

働くスタンスの違いや世代間のギャップって、弊害になることもあるけれど、
お互い許容できさえすれば関係性の悪化には繋がらないし、
価値観を共有できて良いなぁ、と。

社会人になった今おもう。

 

最後の若手社員のセリフにひどく共感した。

大人になっても子供の気持ちを忘れないでいたいな。
わたしもそんな風な人生が良い。




風に舞い上がるビニールシート

国連難民高等弁務官(UNHCR)に務めるエドと里佳の結婚生活を描いた作品。

現地(フィールド)で活動するエドと、東京事務所で働く里佳の間には、
埋められない溝があった。

 

ビニールシートが風に舞う。
獰猛な一陣に翻り、揉まれ、煽られ、もみくしゃになって宙を舞う。

天を塞ぐ暗雲のように無数にひしめきあっている。
雲行きは絶望的に怪しく、風は暴力的に激しい。

吹けば飛ぶビニールシートはどこまでも飛んでいく。
とりかえしのつかない彼方へと追いやられる前に。

虚空にその身を引き裂かれないうちに、
誰かが手をさしのべて引き留めなければならないー。

それがエドの口癖だった。なぜ国連難民高等弁務官(UNHCR)に
入ったのかと問われるたびに、エドは決まってそんな答えかたをした。

 

この冒頭にやられて1ページ読んで一旦本を閉じた。

吹けば飛ぶビニールシート、それが心の中にずっと在り続けるエドは
一体どんな気持ちで毎日を生きているのか、考えただけでくるしい。

 

たった1ページで、読み進めるときっとつらくなると感じた。

だから一旦本を閉じた。

 

 

それでもまたすぐ開いて読みたくなるのは、森絵都の魅力なのだと思う。

覚悟を持って、このふたりの話を読もう、って。




本来ならば人に安らぎを与えるはずのすべてが、逆に彼を脅かす。
新婚一年目にしてそれを悟った妻はどうすればいいのだろう?

里佳にできるのは動揺をひた隠し、
表面的には普段同様の会話を続けるエドに必死で調子を合わせるだけだった。

 

住む世界が違う二人のどうにもならない価値観の違い。
自分にとっては安心できることが、相手にとっては危険を感じることだったりする。
その感じ方を埋める術は、どうしたって無いんだろうな。

 

 

諦めるしかないけど、諦められないこと。
理解したいのに、到底理解できないこと。

 

そうできない事実というのも自分を追い詰める要因になって、
そうやって苦しんで苦しみ抜いて
周りに支えられながらも最後にちゃんと答えを出した里佳を
私は強いと思ったし、そんな里佳の存在で
私も強くいようと思い続けることができた。




おわりに

 

それぞれの主人公が自分の価値観を大事に生きていて
ちゃんと自分の人生を、ちゃんと責任持って生きていると感じて全員に憧れた。

 

決して綺麗事じゃないし、むしろ自分勝手な人たちで、立派なわけでもないけれど、
私もそうで在りたい、って思う人間味を感じる登場人物たちが魅力的で大好きだ。

 

ブレない自分で居続けようって思うきっかけになったのは、この本だったな。

中学生の頃にこの本に出会えてよかったと思う。
負けないでいられたのはこの本に支えられてきたからだった。

 

表題作の「風に舞い上がるビニールシート」は、
読んできた中でいちばん好きな小説だ。

 

私にとって、支えになってきたように
誰かにとっての心の支えにこの作品がなれたら良いな、と思う。