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小説

空っぽであればあるほど侵食されていくー『異類婚姻譚』(本谷有希子・著)感想ー

子供もなく職にも就かず、安楽な結婚生活を送る専業主婦の私は、
ある日、自分の顔が夫の顔とそっくりになっていることに気付く。

「俺は家では何も考えたくない男だ。」と宣言する夫は
大量の揚げものづくりに熱中し、いつの間にか夫婦の輪郭が混じりあって…。

「夫婦」という形式への違和を軽妙洒脱に描いた表題作ほか、
自由奔放な想像力で日常を異化する、三島賞&大江賞作家の2年半ぶり最新刊!




登場人物

サンちゃん 主人公
旦那
ゾロミ サンちゃんが昔飼っていた猫

センタ 弟
ハコネちゃん 弟の彼女

キタヱさん マンションの住人
アライくん キタヱさんの主人
サンショ キタヱさんの愛猫

ウワノ 旦那の同僚
ハセボー 高校の頃から仲の良い友人

〈犬たち〉
わたし

犬数匹
(そのうちの一匹パストラミ)

〈トモ子のバウムクーヘン〉
トモ子
ネオンとリオ トモ子の子供
ウーライ 愛猫

〈藁の夫〉
トモ子




はじめに

この小説は、表題作の他に、3つ短編が収録されていて、全部で4編ある。

〈異類婚姻譚〉
〈犬たち〉
〈トモ子のバウムクーヘン〉
〈藁の夫〉

今回は、【第154回 芥川賞受賞作】である表題作の〈異類婚姻譚〉のみ、
感想を綴っていこうと思う。

他の3編も面白かった。
私は、スウェーデン映画のような雰囲気がするから〈犬たち〉が好きでした。
ショートムービーになったところを勝手に想像してしまった。

 

この小説は、全体的に「いなくなっていくもの」「失っていくもの」が際立つ作品だった。

〈異類婚姻譚〉は、一見ふつうの、特に変わったこともなく、
派手な生活でもない結婚生活が描かれている。
その中で、だんだんと失っていく「自分」を思った。

人との関わりの中で、失われていくもの・奪うものに対して、考えさせられた。

既に結婚して長い人が読んだら、どういう感想を持つのだろうか?
ふと、気になった。

 

誰かと一緒にいて、似てきたと感じたことのある人は、きっとゾッときます。
そんな経験のある人に是非読んでもらいたい小説。




感想

長く連れ添ううちに失っていくもの

二匹の蛇がね、相手のしっぽをお互い、共食いしていくんです。
どんどんどんどん、同じだけ食べていって、
最後、頭と頭だけのボールみたいになって、
そのあと、どっちも食べられてきれいにいなくなるんです。

分かります?なんか結婚って、私の中でああいうイメージなのかもしれない。

 

主人公・サンちゃんの弟の彼女・ハコネちゃんの言ったこの言葉に、
「あぁ、なるほど、わたしの中での”結婚”もそういうイメージかもしれない。」
と思ってしまった。

わたしはあまり結婚に強い思いがなくて、
まだ結婚したいのかもわからず結婚とはどういうものなのかも想像できないでいる。

けれど、お互いがお互いの個性たるものを消していった
という感触には思い当たることが多々あった。

 

それが、「私はこれが好きだけどもあなたの言うあれも良いね。」
と言うような、自分の意見があった上での相手の意見を受け入れるのならば、
それはとても良いことだと思うけれど。

自分が自分であり続けると言うことは、案外簡単ではなくて、
結婚生活で守り抜くべきことは、
自分を失わずに相手のことを受け入れることなのなのかもしれない。




生活に奥行きを生むもの

同じマンションに住むキタヱさんに勧められてから
買い物をするとき、すっかり商店街びいきになったサンちゃんは、思う。

スーパーより価格も割高だし、精算も店ごとになって面倒なのに、
それでもこの、手間暇をかけている、という感覚が妙に、
今ののっぺりした生活に奥行きを与えてくれるような気がするのだ。

主婦をしているサンちゃんにとって、毎日は継ぎ目のない生活だ。

そういう人にとっては、食材別にお店を変え、そこでお店のひととやり取りすることで、
丁寧に暮らしている、という感覚が生まれるのかもしれない。

そして、それが生活を奥行きを与える、ということなのかもしれない。

働いていると、つい、できる限りのものをショートカットしたくなってしまう。

わたしは、スーパーでセルフレジがあれば、すかさずそちらを選ぶし、
飲食店だってファストフード店や牛丼チェーン店の方が会話が少ないから楽だ。

と、思ってしまうことも少なくない。

けれど、そんな生活は、味気なさすぎる。




サンちゃんは主婦だけれど、働いているひとにとっても、
「ちゃんと食材別にお店を変え、お店の人とコミュニケーションを取る」
ということは、心にゆとりを生み生活に奥行きをつくるのだと思う。

サンちゃんの旦那さんは、家で何もしたくない、何もしない、を貫くのだけど、
貫き過ぎていて途中から狂気じみている。

そうやって、なくても生活できてしまうような手間暇を省いてしまうと、
だんだんと相手に隙を与えてしまい、自分も相手と似てきてしまうのかもしれない。

それは、決して悪いことではないけれど、
私はこうだ、と言えるものが無くて、
その空っぽな自分に相手が入ってきて浸食されていくような気がしてしまう。

空っぽであればあるほど侵食されていくのだと思う。
きちんと選び何をするにも一呼吸置くような余裕が、必要なのかもしれない。




最後に

揺らぐことのない確固たる信念や考えがない場合、
簡単にいつの間にやら、自分を失っていっているのかもしれない。

心理的には、『コンビニ人間』(村田沙耶香・著)と通じるものがあると思ったし、
顔が崩れていく、と言う描写は、『ふくわらい』(西加奈子・著)を思い出した。

 

結婚観というのは、人によって様々であると思うけれど、
サンちゃんの旦那さんは、サンちゃんと結婚したのは一緒にいて楽だから、なのだと言う。

けれどそんなものは、後からついてくるようなものであって、
一緒にいて楽だから。と言うことが良くて一緒にいると言うのは、
何かが大きく違うような気がする。

それは、結婚にまだあまり興味のない私だからそう思ったのかもしれない。

周りが、そろそろ結婚しだしたので、現実味を持って読める内容だった。

もし結婚して、長く連れ添う存在があったなら、
自分を失わないようにしよう、と決意した。